夫婦(ふたり)の第二楽章、AIと奏でる未来(あした)の歌

第一部:不協和音のプロローグ

序章:静寂に響く言葉

 

 佐藤良子、六十八歳。彼女の一日は、夫・健一の立てるテレビの音で始まる。五歳年上の健一が定年退職して三年。元銀行員の夫は、今やリビングのソファが定位置となり、朝から晩までワイドショーとゴルフ中継を往復している。

 

「おい、茶」

 

「……はい」

 

 かつては小学校の教員として、子供たちの声に囲まれていた良子。今は、夫のぶっきらぼうな言葉と、それに無感情に応える自分の声だけが、この家の静寂を破る。会話らしい会話はない 。庭の草むしりと、図書館で借りてきた本を読むことだけが、良子の心を慰めていた。

 

その日も、昼食の片付けを終えた良子の耳に、テレビの音が突き刺さった。「人生100年時代、輝くための終活特集!」。

 

終活。

 

 その言葉が、良子の胸に重くのしかかる。このまま夫の世話を焼き、テレビの音を聞きながら、色褪せた日々を終えていくのか。言いようのない虚しさが、心を覆う。ふと、夫への長年の不満が、澱のように浮かび上がってきた。私は、一度でも自分の人生を生きただろうか 。

 

 良子は、寝室の天袋から古びた菓子箱を取り出した。中には、健一と交わした手紙の束が大切にしまわれている。結婚する前の、情熱的で、未来への希望に満ちた言葉たち。

良子は、あの頃の健一の面影を求めて、黄ばんだ便箋に指を滑らせた。

 

第一章:デジタルな断絶

 

「おばあちゃん、聞こえる?」

 

タブレットの画面の向こうで、小学生の孫が手を振っている。遠方に住む息子家族との週に一度のビデオ通話が、良子にとって数少ない楽しみだった。

 

「聞こえるわよ。元気にしとる?」

 

良子の背後で、健一がソファに寝転がったまま「誰と話しとるんだ」と不機嫌そうに言う。

 

「おじいちゃんもこっち来なよ!」と孫が呼びかけるが、健一は「面倒だ」と一言呟き、テレビに視線を戻した。デジタル機器への苦手意識が、彼を家族の輪から遠ざけている。良子は、画面の孫に申し訳ない気持ちで、曖昧に微笑んだ。

 

息子が気遣わしげに言う。「父さん、地域のスマホ教室とか行ってみたらどうかな。災害の時とか、連絡が取れないと心配だし…」。

 

「いらん!」健一の怒鳴り声が響く。

「そんなもの、俺たちの世代には必要ない」。

 

それは、単なるデジタルデバイドではなかった。変化を拒む夫の頑固さと、それに何も言えない自分の無力さ。

夫婦の間に横たわる、深く冷たい溝を、良子は改めて感じていた。

 

第二章:偶然の調律

 

 昔の手紙を読み返すと、良子の知らない夫の姿があった。

 

『良子先生へ。君が子供たちに向ける優しい眼差しを見るたび、僕の未来も明るく照らされるような気がします』

 

 今の健一からは想像もつかない、詩的な言葉 7。高度経済成長期を猛烈に働き、家族を支えてくれたことには感謝している。

だが、その過程で、私たちは何を失ってしまったのだろう。

 

 ぼんやりとテレビを眺めていると、ある特集が始まった。「AIで、誰でも作曲家デビュー! 夫婦の思い出を、世界に一つの歌にしませんか?」。

 

 画面には、老夫婦が楽しそうにタブレットを操作し、自分たちの金婚式を祝う歌を作っている。初心者でも簡単な操作で、メロディも歌詞もAIが助けてくれるという。

 

歌…。

 

 良子の心に、忘れかけていた感情が蘇った。言葉では伝えられない想い。夫への不満、寂しさ、そして、心の奥底にかすかに残る愛情。それをメロディに乗せたら、何かが変わるかもしれない。

 

それは、死への準備などではない。過去を整理し、これからの人生を自分らしく生きるための「人生の棚卸し」。良子は、ほこりを被ったタブレットを手に取ると、震える指で検索窓に文字を打ち込んだ。

「AI 作曲 簡単」

画面には、「Suno」「Udio」といった、見慣れないサービス名が並んでいた。彼女は、一番上に表示されたリンクを、祈るような気持ちでタップした。